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脳の意識 機械の意識 が面白すぎた件

こんにちは、近頃ブログサボりすぎてましたがぼちぼちまた書いていきます。


今回は、もともと自分の関心領域でもあった意識について、それも機械に人間の意識を移植できるのではないかという仮説を元に説明していただいてる本を読んだのでご紹介いたします。


著者は東大工学系研究科准教授の渡辺正峰先生で、工学研究者の立場から神経科学の研究をされている方です。


本書の流れとしては、感覚意識体験やクオリアの説明から入り、これまでの神経回路網にアプローチする実験の紹介、意識を統合する仕組みについての知見に関する記述、最後に今後の展望といった感じです。


医学部の神経生理の授業で概要はつかんでいたからこそ読みやすかったのかもしれませんが、客観的に見てもかなり掘り下げて書いてくださってるので実験説明の部分もそれほど苦しまず読めるのではないかと思います。


それでは、本書で特に気になった部分をピックアップして自分なりの考察、感想を書き綴っていきます。

腹側経路の最高次の視覚部位といえども、そこに表現されている視覚情報は、見えるか見えないかの二者択一的な意識からは大きく乖離していることになる。

これは猿に両視眼闘争実験といって、左右の目各々に別の画像を見せて視覚刺激強度の強い方により片方が優位に神経活動に反映されるという実験で、ロゴシセスの100以上のnを誇る実験データによると8割以上のIT(下側頭葉皮質)がこの実験中の猿の知覚報告と一致している。しかし、残りの数十%は猿の意識の有無に関わらず反応してしまっているのである。そのため、この神経活動は無意識下で行われている可能性も捨てきれず、単に知覚と連動するなら意識の担い手であるかというとそうではないことを示唆している。

その後、第一次視覚野に関する実験でfMRIを用いる際に眼のある部分に着目して左右のニューロン群の神経活動の分離を図ってるのが画期的だった
たが、ネタバレは避けます笑

NCCを構成する神経回路網に特殊な状態が生まれさえすれば、リンゴのクオリアが発生する。本質的なのはNCCであり、覚醒中の網膜も、脳に蓄えられた記憶の中のリンゴも、それを手助けしているにすぎない。

NCCとはNeural Correlates of Consciousnessで、固有の感覚意識体験を生じさせるのに十分な最小限の神経活動と神経メカニズム、と表現されている。
例で言えば、目の前にりんごがあろうとなかろうと、目をつむろうとつむるまいと、頭の中には赤い某物体のイメージが浮かび上がる。つまり、別に対象が目の前になくても事象として脳が認識しているものであれば三次元再構成をできてしまう。主体はNCCにより構成された三次元世界であって、眼前の事象は三次元世界との誤差調節のためでしかないと理解する。NCCを再現できればたとえ機械でも意識が生じそうな気はする。

チャーマーズの「情報の二相理論」で言えば、その検証には、ニューロンの発火・非発火といった情報の側面だけを脳から抽出してやる必要がある。

これはまさしくそうだと思ってます、ニューロンの発火にはイオンチャネルの開閉など生物現象が絡まった上で成立しているので純粋に無機的な要素を取り出せるかというとかなり難しそうではある。一方で本書でも紹介されていたペンローズとハメロフのマイクロチューブル内部には情報処理素子としての役割は無く、そこに量子力学的作用が働くこと自体が意識の源であるとするのは無理があろうと私としても思われますね、、、笑

ヒトの脳には、千数百億個のニューロンが存在し、それぞれが数千個のニューロンから入力を受け、数千個のニューロンへと出力している。半導体技術に劇的な進展がない限り、人工物で、ヒトの脳の規模と複雑さを実現するのはほぼ不可能だ。

一から人工物の神経回路網全てを再現しようと思うと途方に暮れるが、チャーマーズの提唱した「フェーディングクオリア」という100%生体脳から1本1本生体脳にバレないようにコンピュータシミュレーション上のニューロンに置き換えていけば最終的には人工脳の完成で感覚意識体験も失われることもないと結論づけた逆転の発想が有力のよう。いやそれも大変じゃんと思うけども笑 ただ、多数同時に接続しているニューロンがあるとしたらそのひとつの置き換えに生体脳が支障をきたしたとして果たしてどの部分が原因なのか、組合せ論でいえばΣnCr通りあるわけでそれが多発したら一生かけて終われる作業では依然として無い気はする、、

ただし、仮に、高次の視覚部位に高精細の視覚情報が存在したとしても、それだけでは、我々の感覚意識体験が成立しない可能性は高い。イギリスの脳科学セミール・ゼキは、中次の視覚部位である第4次視覚野の限局的な損傷によっても、一切の視覚的な夢が見られなくなったとの症例を報告している。

最高次の視覚野では人間が見ても理解できないおぼろげで記号的な表象がストックされているようである。pythonのcifa10の学習過程を思い浮かべれば話が早い。この部位のみで感覚意識体験が体現されるわけではないことを上記の引用では示唆していて、というのも中次部位の損傷で視覚的な夢が見られなくなったからである。ということは、高次から中次へと次元を降るその過程で感覚意識体験が生じてくるのではないかと個人的には考える。

生体の脳同士といえども、相方の巨大で複雑な神経回路網の解剖学的構造など、なにも把握しようがないということだ。

左右の脳をつなげている前交連の神経繊維の数は脳梁よりもはるかに少なくて2000~3000万程度にすぎないのでそこと特異的な接続部位の把握さえクリアすれば別に左右お互いの脳の詳細な神経回路網の構造や解剖学的な様態はおかまいなしという結論である。これにはハッとした。この本の最終目的は機械に意識を移植することであるので例えば半分生体脳、半分機械脳でその2000~3000万の神経繊維接続するインターフェースを再現して二者間での意識の統合が図れうるのである。感覚意識体験についてはマウスの比較課題遂行スコアで十分に測定かのうであるとのこと。


コロナの自粛期間に読みふけっていました、SFチックされど神経科学に基づいて現実味を忘れていないテーマで非常に面白かったです。Google最高技術顧問のカーツワイル氏は、21世紀半ばには意識の機械への移植がなされるとはっきり述べているようでホットなテーマでもあるようです。医師となった時ヒト応用する際に自分がそこに参入する余地は十分にある気はするので、基礎的な知識をつけこの研究に加わってみたいとおぼろげに思いました。なにより面白いにつきる(n回目)